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秋田県南部に位置する湯沢市稲庭地区。清らかな川の流れと豊かな木々に囲まれた美しい里山の残るこの地域に350年以上前、佐藤吉左衛門(のちの稲庭吉左衛門)が、干しうどん製造を興したのが「稲庭うどん」の始まり。その後、秋田藩佐竹家の御用処となり、一子相伝、門外不出で綿々と受け継がれてきた。現在は第16代稲庭吉左衛門が大量生産はせず、ごく一部の流通のみにとどめ、宗家としての伝統を守り続けている。
しかし、一子相伝により、その技が絶えることを心配し、江戸時代末期に特別に稲庭うどんの技術が伝授されたのが2代目佐藤養助(現在の佐藤養助商店)である。
佐藤養悦本舗は、稲庭うどんの7代目佐藤養助から暖簾分けのような形で誕生した。「私の父、養悦は佐藤養助商店の長男でしたが、家を出て跡を継がなかった。どんな理由があったのかわかりませんが、再び稲庭地区に帰ってきて、独立して稲庭うどんを作り始めた。ちょうど私が生まれた頃のことです」と話してくれたのは、佐藤養悦本舗の現代表である佐藤信光さん。この道35年のベテランで、業界でも知られた稲庭うどんの匠だ。
佐藤さんの幼少時代は、まだ今のように稲庭うどんが全国に知られてはいなかったという。しかし、あまり公にされていなかった製造方法が公開された昭和40年代頃から、稲庭うどん製造の会社が増えはじめ、秋田名物として徐々に普及していった。
「稲庭うどんを作るには、まず小麦粉にたっぷりの塩水を入れ、練っては熟成というのを繰り返して生地を作る。それを幅3㎝くらいに切り小巻にし、その後の2日目の行程を手綯い(てない)と呼んでいて、私は一番重要な作業だと思っています。」と佐藤さん。2本の掛け棒にあやがけするようにして、手早く一定のリズムで「8の字」に生地を延ばしながら、うどんを綯う。稲庭うどんの全行程の中でも、ほぼ半分の人員をさくのがこの手綯い作業だ。たっぷりの水を入れやわらかくした生地を扱うため、生地段階では、そのやわらかさゆえ、手作業でないと綯うことができない。行程の随所で熟成を行う稲庭うどんを、佐藤さんは発酵食品のようだと話す。実際、生地の段階で寝かせる際、パンのような甘い香りが感じられるくらい、長い時間発酵させている。出来上がった麺はうどんと呼ぶには少し細身で、断面は平べったいのが特徴。その姿からは想像できない程のコシの強さと歯ごたえがある。その日の湿度、温度により水分や塩分の微調整をし、3,4日もかけて熟成させることで、独特の食感やつるりとしてなめらかな舌ざわりが生まれるのだ。
「佐藤養悦本舗」では、うどんの原料には1年以内に収穫された国産小麦しか使用しない。そのほかの塩も澱粉もすべて国産だ。素材も製法も純国産、これこそが佐藤さんのこだわりで、佐藤養悦のうどんにとって不可欠なこだわりなのだ。
こうした稲庭うどんの製法を応用し、佐藤さんが新たに作ったのが「稲庭中華」だ。もともとラーメン好きで、うどんの技術を応用して中華そばを作れないかと考えたのだそうだ。最初は生麺を試作していたが、そんな時、東京の有名ラーメン店の店主からせっかくだから稲庭うどんの技術を生かして乾麺で作っては、とアドバイスを受け、完成したのが稲庭中華である。ラーメン店ではほぼ生麺が使われることが多いが、稲庭うどんそのままに丸2日干して仕上げたストレートの乾麺。その喉越しのよさは圧倒的である。
今では、秋田市にこの麺を使った専門のラーメン店ができるほどの人気ぶりだ。「今後は稲庭地区に、うどんだけでなく、ラーメン、パスタ、そばなど、稲庭うどんの技術を生かして作った麺をすべて揃えたような飲食店を開けたらと思っています」と佐藤さん。伝統の技から生まれる、佐藤養悦本舗の新たな麺製品が今後も楽しみである。