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雪深い秋田県内陸部、なかでも湯沢市は四方を山に囲まれた豪雪地帯として知られる地域である。冬の訪れは早く、そして長い。それが独自の漬物づくりの文化を生んできたといわれている。
いぶりがっこの原料となるのは、秋に収穫される白首の地大根。水分が少なく真っ白で長く、身が締まっていて辛いため生食には向かないが、いぶりがっこには最適な素材なのだ。
秋田県内陸南部である湯沢市界隈は、降雪の時期が早く、山間にある為日照時間が極端に少ない。冬の保存食として一般的なたくわん漬を作ろうとしても、天日で干しだけでは水分が抜けきらず、さらに屋内の梁に大根を吊して干す必要があった。下には囲炉裏があり、火と煙が天日の代わりを務めた。そのおかげでいぶされる薫りを大根がまとい、煙の強い酸が大根の表面を殺菌し、保存性が高まった。さらにそれを塩と米糠などに漬け込むことで発酵の旨味と相まって独特な風味を生んだのだ。「燻した大根を漬けて食べてみたらおいしかった、いぶり漬けはそんな偶然の産物なのかもしれません」と雄勝野きむらや代表の木村吉伸さんが笑顔で話す。
いぶり漬の起源は古く室町時代からとも言い伝えられている。漬け方は様々で、各家庭ごとの味があり代々つくり継がれてきた。しかし昭和に入り、薪ストーブが普及すると、多くの家庭から囲炉裏が減少するとともに、いぶり漬けも姿を消していくこととなった。
昭和38年、湯沢が漬物作りに適した気候、そして素材に恵まれているところに目をつけ、漬物屋を創業したきむらや。当初は山菜の漬物や粕漬けなどを作っていたが、姿を消したいぶり漬けを懐かしむ人々の声が、きむらやにも寄せられるようになった。「それなら」と家伝のいぶり漬けを再現し商品化へ乗り出す挑戦を始めた。
そこから囲炉裏の火を再現するため、試行錯誤の日々が続いた。厳選した広葉樹の薪を燃やし焚き火干しすることで、いぶり漬特有のどこか懐かしい、囲炉裏火を思い出させる、甘い燻煙香がつく事を発見した。そして燻した大根を、米糠と塩、さらにザラメ糖で手早くつけ込んでいく。こうして再現された、きむらや家伝のいぶり漬けは、秋田で漬物のことを「がっこ」と呼ぶことから「いぶりがっこ」と名付けられ多くの人に愛されるようになった。
ザラメ糖を漬物に使うのもこの地域独特の製法である。湯沢市にはかつて東洋一の大銀山とうたわれた「院内銀山」があり、このあたりはそれなりに栄えた地域だった為、当時は高級品だった砂糖も手に入りやすかったようだ。そんな事情も手伝って、いつしか漬物にも砂糖を使うようになり、秋田では定番の製法となったのだ。浸透圧で大根から水を押し出してくれるのは、砂糖も塩も同じ理屈。違いは風味が甘いかしょっぱいか。いぶりがっこが一般の漬物より食べやすいと言われるのは、砂糖を使っている分まろやかさを感じるからだろうと木村さんは語る。
漬け込んだ後は、60日以上かけて熟成。樽の中で乳酸発酵しだすと「コポッ、コポッ」という音がし始める。いよいよいぶりがっこのできあがりだ。
秋田を代表する味として今や全国で知られるいぶりがっこ。その原点は「素朴な味」。「世の中にはおいしいものがたくさんある。たまにいぶりがっこの様な素朴なものを食べてもらい、懐かしさなど感じてもらえれば嬉しい」と木村さん。
最近ではチーズと一緒に味わったり、リゾットやお茶漬けに入れたりと、さまざまな食べ方が工夫されている。いぶりがっこを好きな人たちが「こんな風に食べたらおいしかった」と教えてくれるのだそうだ。
豪雪地帯の秋田内陸部ならではの環境が生んだいぶりがっこ。今年の冬も、寒さつのる雪国で熟成を重ね、静かにその完成を待っている。