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日本三景のひとつ松島に隣接する漁業の街・宮城県東松島市。目の前に松島湾が広がる大塚地区に、宮城県産のカキを生産から流通まで自社で行なう「和がき」があります。
「和がき」の代表取締役・阿部年巳(あべとしみ)さんは、東日本大震災をきっかけに家業のカキ漁師を見直し、新しい“カキビジネス”を考案しました。そのビジネスや今後のビジョンなどについて話をうかがいました。
カキの養殖と海苔を生産する漁師の三男として生まれた阿部さん。長男・次男は子どもの頃から船に乗り、父親の手伝いをしていたのですが、阿部さんは一切しなかったそう。
「漁師の子なのに、泳ぎができないし、船酔いもひどいんですよ(笑)。父親が見かねて“お前は陸の作業をしろ”って。なので、子どもの時は母親の手伝いばかりしていました」
周りの人からも漁師には向いていないと言われ、父親の跡は継がないと思った阿部さんは、ドラックストアを経営する会社に就職。5年間会社員として勤めていた25歳のとき、漁師を継いでいた次男が父親と口論になり、突然家を飛び出てしまいました。
「長男はすでに家を出ていたので、実家にいた私が休日などに家業を手伝っていました。そしたら父親は私が継ぐものだと思い込んでしまって…。気付いたら漁師になっていた感じです(笑)。ただ、会社員として働きながらも“自分で経営してみたい”という漠然とした夢があったので、今思うと良いタイミングだったのかなと思います」
カキ漁師になって10年経った2011年3月11日、東日本大震災が発生。阿部さんは午前中の仕事を終え、自宅で仮眠していたときに起こりました。地震直後、揺れは大きかったものの周辺は倒壊した建物もなく、安心していたところに津波が襲ってきました。
「自宅近くの漁業組合の2階に家族と避難しました。そこから海の方を見ると、黒い壁がこちらに押し寄せてくるのが見えたんです。その黒い壁の上には、津波が巻き込んだ木がもじゃもじゃと乗っていて、これは大変なことになるなと思いました」
幸い家族は全員無事でしたが、津波で自宅を失ってしまいます。大きな余震が続くなか、阿部さんは“チャンスが来た”とも感じたそう。
「まだ日本中が混乱していた時に、すごく不謹慎なことだと思うんですが“これから何の仕事をしよう”って少しワクワクした。みんな、家も仕事もすべて流されてしまったから、同じスタートラインに一斉に並んだ感覚ですね」
ちょうどその頃、カキによるノロウィルスの感染や韓国産カキ混入問題などの影響で、売上は下降。仕事におもしろみを感じなくなってしまっていた阿部さんは、今後どうしていけば売り上げが伸ばせるのか模索中でした。
震災後、ゼロから仕事を見直していた阿部さんは、周囲の“またおいしいカキが食べたい!”という期待の声もあり、宮城県産のカキを復活させ、広めていきたいと決意します。ただ、今までと同じやり方では意味がないと考え、少しでも新しいアイデアを生むきっかけをつかみに、カキ養殖の先進国・フランスに視察に行きます。
~阿部さんがフランスで目にした、衝撃の“カキビジネス”とは…?後編はこちらから!~
http://www.shoepress.com/topics/04_0023.html
阿部年巳(あべとしみ)さん
1977年宮城県東松島市生まれ。2002年に勤めていたドラッグストアを退社後、父親の跡を継ぎ、カキ漁師の道を目指す。2011年12月に「株式会社和がき」を設立、2013年に出荷工場を建設。事業を再開し現在に至る。
2018年5月時点での情報です。